■INSTRUCTORS/講師

第12回 Kyoto Dance Academy in summer
ワークショップ概要

フランコ・シュミット(ダンサー)

テクニック・ワークショップ(WS)(2008.7.27-8.6)

ピナ・バウシュ&ヴッパータール舞踊団のダンサー。マーク・シジャレック、ヨアヒム・シュレーマー、ヘンリエッタ・ホルン率いるフォルクヴァング・タンツシュトゥーディオ、リモン・ダンス・カンパニーなどのダンサーとして活躍。スザンネ・リンケ、マヌエル・クエロ、ツォルタン・ダニ、ガブリオ・ガブリエリ、サナ・ミュリラーティ、エン・メ・アンの作品にも参加。インドネシア、香港、日本、韓国、インド、エジプト、ヨーロッパ各国へのツアーにも参加。

ハンブルクの「ベルント・キューン・タンツテアーアター」を皮切りに、ダンス教育者としての活動はかなり早くから始め、フォルクヴァング大学の客員講師、フォルクヴァング・タンツシュトゥーディオ、カッセル州立劇場ダンス部門のバレエ・マイスターを務め、メキシコ各地の大学やダンスのセンターでワークショップを指導。

フォルクヴァング大学は、コンテンポラリー・ダンスの教育機関として、世界でも最も有名な大学の一つであり、創立以来、想像力の育成と真実への探求を通じて、独自の表現と身体言語を作り出している。

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秋谷悦子(ダンサー、ダンス・バレエ教師)

振付導入とコンテポラリーダンス導入(CDI)(2008.8.1-8.6)
第11回京都ダンスアカデミーin WInter(2008年)
第11回京都ダンスアカデミーin Summer(2007年)
第10回京都ダンスアカデミーin WInter(2007年)

埼玉県出身。6歳より、ルイバレエアカデミーにてクラシックバレエを始める。
1991年よりLaban Centre Londonに留学。翌年、同学校Transitions Dance Companyに日本人初のダンサーとして入団、ディプロマ所得。
1993年よりドイツの州立劇場、国立劇場やフリーカンパニー、スイスのカンパニーにてダンサーとして活動。
1998年よりオーストリア Landestheater Linzにて、ダンサー兼アシスタントとして4年間在団。1999年ウィーン国際舞踊コンクール第2位受賞。
2002年よりドイツ デュッセルドルフにてダンサー兼教師として活動。ドイツのオープンクラスをはじめ、Neuer Tanz デュッセルドルフ、Staatstheater Oldenburg オルデンブルグ、Folkwang Tanzstudio エッセン、Random Dance Company イギリス、ロンドン、Galili Dance オランダ、グローニンゲン、Skanes Dansteaterスウェーデン、マルメ、Matthew Bourne's New Adventures (Edward Scissorhands)東京公演などでカンパニークラスを担当。

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高安マリ子
(臨床心理士、ダンスセラピスト、振付家、ダンサー)

ダンスムーブメントセラピー(DMI)(2008.7.29-7.31)
第11回京都ダンスアカデミーin Summer(2007年)
第10回京都ダンスアカデミーin Winter(2007年)

京都生まれ。米国ポートランド州立大学心理学部臨床心理科と、舞踊教育学科を卒業、国際舞踊教育専門資格取得後、同大学の教師、ベトナム帰還兵の心理療法士を歴任。マーサ・グラハムスクール、アルヴィン・エイリー舞踊団で学び、アルヴィン・ニコライ、ドナルド・マッケールのアシスタントを務める。エドワーズ精神延滞センターダンス療法士助手、研修を経て、ニューヨーク大学にて、ラベンソール博士のもとでダンス療法を学ぶ。米国テレビ・CM・舞台の振付演出・アメリカ芸術基金などの助成による作品を制作。1983年帰国後、マリ子ダンスシアターを結成。同主宰、芸術監督。世界各国において教育、芸術、心理療法でこころとからだの力を取り戻す活動をする傍ら、京都大学研修生を経て、臨床心理士、ダンスセラピストとなり、ダンスセラピスト育成やダンス療法の普及に努める。
1993年、ドイツ表現主義舞踊の継承者であるテゲダ−教授と出会い、京都ドイツ文化センターよりドイツに派遣され、同国における舞踊教育の方法を追求する。イギリス、ギリシャ、ハンガリー、フランスとの共同創作公演、ワークショップをプロデュースし、国際交流活動の領域を広げている。2006年より京都市少年合唱団特別講師を務める。

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阪本麻郁(ダンサー、振付家、ダンス教育者 )

小・中学生のためのダンスワークショップ(2008.7.22-7.31)
第11回京都ダンスアカデミーin Summer(2007年)
第10回京都ダンスアカデミーin Summer(2006年)

日本人では初めて、キエフ国立バレエ学校に国費留学。1989年〜1990年キエフ国立バレエ学校留学。最終学年終了。1995年名古屋バレエコンクール入賞。2002年から2003年にかけて、ニューヨークに滞在し、バレエ、モダンダンス、コンタクトインプロビゼーション、コンポジションなどを学ぶ。パル・フレナック(フランス、ハンガリー)演出・振付による日仏共同創作作品に出演(2000年)、フェリックス・ルッカート(ドイツ)演出・によるサイト・パフォーマンスに出演(1999年、2003年)。ハイデ・テゲダーによる日独共同創作作品「依存とエクスタシー」出演(2004年)。ハノーバー国際振付コンクールへの出品、ALTI舞踊フェスティバルで発表などの傍ら、リファール国際バレエコンクール出場者のコンテンポラリー作品の振付なども行っている。2003年には京都ダンスアカデミーのプロジェクト「海心遊記」の振付講師として、若手振付家育成を目的とした作品を制作。2005年9月からハイデ・テゲダーの招待によりダンス教育を学ぶため、ケルン音楽大学に在籍中。デュッセルドルフの「タンツハウスnrw」専属青少年ダンスアンサンブル(JET)のために作品を制作。即興法による振付は、ドイツでも高い評価を得ている。2006-2007、ボッフム州立劇場にて『アフターダーク』出演。2007、ケルン、アーヘンにてダンスプロジェクト『SZIA』出演。2007-2008年、NRW州教育プロジェクト”学校と芸術家”に選ばれフレヒェンのアンネ・フランク・シューレにて子供達と1年間『動きの中で学ぶこと』というプロジェクトを開始する。ドイツ・ケルン在住。

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第1回からの講師陣

ドミニク・メルシー(ダンサー)

第11回京都ダンスアカデミーin Winter(2008年)

フランスのモーザック出身。6歳でダンスをマダム・デュプラドゥ、ジェルメイン・ラロンドゥのもとで学び、1965年にボルドー劇場バレエ団に所属。1968年、ジャン・アルベルト・カルチェとフランソワーズ・アドレの芸術監督の元に創設された「Ballet Theatre Contemporain(現代バレエ劇場)に加わる。1971年と1972年、マニュエル・アルムと活動するためアメリカに行く。
コネチカット大学フェスティバル、ジャコス・ピロゥ・ダンスフェスティバル、ニューヨークで仕事をし、サラトガ・サマー・フェスティバルでピナ・バウシュと出会う。1971年夏に新しく創設されたブッパタール舞踊団にピナバウシュに招待されメンバーとなる。ピナ・バウシュと活動する傍ら、キャロライン・カールソンのパリ・オペラ座劇場リサーチグループの2つの作品に参加、またピーター・ゴスの活動にも参加する。
1999年に行われたアヴィニヨン・フェスティバルのパフォーマンスシリーズのVif du Sujetのために、ジョセフ・ナジにソロを振付を依頼し、2人が現在も上演する1時間のデュオ作品「Petit Psaume du Matin」ができた。1988年から、エッセン・ヴェアデンのフォルクバング大学で教え始める。2001年、「Chevalier des arts et des lettres」を制作し、2002年のベッシーアウォード(ニューヨーク)を受賞。2003年にはレジス・オバディアによる「ドミニク・メルシーピナ・バウシュを踊る」というドキュメンタリーが制作された。

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フアン・クルース・ディアス・デ・ガライオ・エスナオラ(ダンサー、振付家)

第11回京都ダンスアカデミーin Winter(2008年)

スペインのレガスピ出身。6才から聖・セバスチャン高等音楽院で音楽を学んだ。その後、アムステルダム・ボー・オウドゥ音楽学校で古楽び、カウンターテナーとしてのキャリアを積む。
1990年のマルセロ・エヴリン振付「Muzot」でダンサーとしてのスタートを切る。その後、ピーターCショルテン、エミオ・グレコ、アーサー・ローセンフェルド、リュック・ダンベリー、ロイド・ニュゥストンらと、ダンサー、役者、振付家として活動する。1997年からサシャ・ワルツのカンパニーで踊る。サシャ・ワルツの作品を踊ると共に、カンパニーの音楽コンセプトや、音楽制作の一部を務める。サシャ・ワルツがシャウビューネ劇場の共同ディレクターの一人であった1999年から2005年、シャウビューネ劇場のアンサンブルに所属。2005年からサシャ・ワルツアンドゲスツのメンバーとなる。ベルリオーズの音楽を使ったパリ・オペラ座バレエ団の作品「ロミオとジュリエット」では振付のサシャ・ワルツのアシスタントを務めた。2007年、シディ・ラルビ・シェルカウイによってパリのポルト・ドレにある国立移民歴史博物館で行われた初めてのインスタレーション「Zon-Mai (2007)」に招待される。
定期的にフォルクバング大学の中のカンパニーでクラスを教えたり、ヨーロッパ、アジア、アメリカでワークショップを教える。

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松平ますみ(臨床心理士)

第11回京都ダンスアカデミーin WInter(2008年)
第11回京都ダンスアカデミーin Summer(2007年)

東京都出身。カウンセリング指導・企業人間関係・コミュニケーション研修の講師を務め。現在、小中学校のスクールカウンセラー、および児童養護施設児童・思春期・被虐待児専門のセラピーに携わる。高安マリ子(臨床心理士、ダンスセラピスト、振付家、ダンサー)のもとでダンス療法を学ぶ。2001年、2002年には、ニューヨーク大学大学院ダンスセラピー科設立・オーストラリアダンスセラピー資格認定を設立したM.ラベンソール博士の研修会参加。マリ子ダンスシアターでモダンダンスを学ぶ。京都ダンスアカデミーのワークショップで海外の振付家やダンサーのテクニックを学びながら、「からだとこころのイメージと感覚のつながりに関連する研究」を深めている。

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ヤン・プッシュ(ダンサー、振付家)

第10回京都ダンスアカデミーin Winter(2007年)
第9回京都ダンスアカデミーin Winter(2006年)
第6回京都ダンスアカデミーin Summer, in Winter(2002〜2003年)

1966年ライプツィヒ生れ。
ワイマールのベルヴェデーレ城音楽学校でピアノとチェロを学ぶ。1980年西ドイツへ移住。
フランクフルト音楽・演劇大学ダンス科とミュンヘンのハインツ・ボーズル財団でダンスを学ぶ。1989年ダンサーとしての舞台上演のための国家資格取得。その後、ボン・バレエ団、ジョン・ノイマイヤー率いるハンブルク・バレエ団のダンサーを務める。1994年以降フリーの振付家、演出家、作曲家として活動。
「プリーズ・ヘルプ・ユアセルフ」は1998年、シュトゥットガルト国際ソロ・ダンスシアターフェスティバルで第1位。「ピナ・バウシュの作品から贅肉を削ぎ落とした」と評され、現在ドイツで注目度の最も高い振付家の一人。

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ヘンリエッタ・ホルン(ダンサー、振付家)

第8回京都ダンスアカデミー in Sumer(2004年)

1968年ベルリンに生まれる。6歳からバレエのレッスンを受けるが、高校時代は飛び込みのドイツのオリンピック強化選手として活躍。1987年から92年まで、ケルンにあるドイツ体育大学でエレメンターラー・タンツ、92年から96年までフォルクヴァング大学でダンスを学ぶ。90年以降、パディリア・ダンスアンサンブルなどののダンサー・振付家として活動した後、自らのカンパニー「テルツァ・エ・ウノ」を設立。以後、数多くの振付作品を発表し、ノルトライン・ヴェストファーレン州振付奨励賞を受賞。1999年からは、ピナ・バウシュとともに、フォルクヴァング・タンツシュトゥーディオの芸術監督に就任し、精力的な振付活動を展開している。

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ハイデ・テゲダー(ダンサー、振付家、教育者)

第11回京都ダンスアカデミーin Summer(2007年)
第7回京都ダンスアカデミーin Winter(2004年)
第5回京都ダンスアカデミーin Summer,in Winter(2001〜2002年)
第3回京都ダンスアカデミー(1999年)

1944年ブリュン(現在、チェコスロバキア)に生れる。ケルン演劇ダンス研究所でバレエ、モダンダンス、民族舞踊の教育修了試験を受けた後、国立ハンブルク・バレエ団に所属。その後、国立ケルン・オペラに移り、ドイツにおける最初のモダンダンス・アンサンブルであるケルン・タンツフォールムの創設に参加。1978年から6年間、ピナ・バウシュ率いるヴッパータール舞踊団のソリストとして活躍。同時に振付家としての活動も開始。ケルンの国際振付コンクールに入賞。1988年以降、ハノーバー音楽演劇大学モダンダンス科教授に招聘され、ダンス教育者としての歩みを開始する。その間、Goethe-Institut(ドイツ文化センター)より、フランス、ブラジル、メキシコ、日本など諸国に派遣され、数多くのワークショップを指導し、1995年には国際交流基金の招聘により、日独共同創作ダンスシアター作品「水に浮かぶ葉」を発表し、好評を得ている。2000年からケルン音楽大学より招聘を受け、同大学のダンス科教授に就任。ドイツにおけるダンス教育の第一人者として不動の地位を占めている。

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フェリックス・ルッカート(ダンサー、振付家)

第3回京都ダンスアカデミー(1999年)
第4回京都ダンスアカデミー(2000年)
第6回京都ダンスアカデミーin Winter(2003年)

1959年シュペッサール近郊のメスベルブルンに生まれる。ミュンヘンで自らのバンドを結成し、コンサート、録音、パフォーマンス活動を展開。82年からダンスを始め、フォルクヴァング大学でピナ・バウシュに師事。同時に、ファッションショーのモデルや振付の活動も行なう。ヴァンダ・ゴロンカ率いるカンパニーで踊る(87/88)。92年から94年まで、ヴッパータール舞踊団のダンサーとして、ピナ・バウシュのもとで踊る。95年フリーのダンサー、振付家として数多くの作品を発表。とくにダンス・プロジェクト「ハウトナー」(「ピッタリくっついて」の意)がヨーロッパ各国で大きな反響を得た後、観客とダンサーが直接に触れ合う実験的作品を通して、ダンサーと非ダンサーの垣根を取り払う可能性を探っている。一方で、クラシック・バレエ団とモダンダンスのテクニックを用いた作品を発表するなど、意欲的な創作活動を行っている。

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ロドルフォ・レオーニ(振付家)

第10回京都ダンスアカデミーin Summer(2006年)
第7回京都ダンスアカデミー in Summer(2003年)

1963年、ブラジルのカンポ・グランデに生れ、1978年からダンスを専攻する。1981年、カンポ・グランデ地方で最初のモダンダンスカンパニーを設立。83年にはグラハム・デクニクを学ぶために、サンパウロに行く。グラハム・テクニックに魅了され、グラハム・スクールの奨学金を得て、同校で学ぶ。3年間のニューヨーク滞在中、レイチェル・ハームズ・ダンスカンパニー、サラ・パーソン・ダンスカンパニー、デビッド・ウルフ・ダンスカンパニー、ロビン・ベッカーダンスカンパニー、ジェリー・パーソン・ダンスカンパニーといったダンスカンパニーで踊る。1988年以降、ドイツに活動の本拠を移す。数多くの振付作品を発表し、1996年には自ら率いる「ロドルフォ・レオーニ・ダンス」を設立。2001年からブレーメン・ダンスシアター(ウルス・ディトリッヒ監督)のバレエトレーナーを務めている。ドイツ国内、国外でも数多くのワークショップを指導している。

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グレゴア・ツェーリッヒ(振付家)

第8回京都ダンスアカデミーin Winter(2005年)

1965年ザンクト・ガレン(スイス)に生まれる。フォルクヴァング大学、シュトゥットガルトのジョン・クランコ・バレエアカデミーでダンス教育を受ける。アーヘンおよびミュンスター・ダンスシアターの専属ダンサー(ソリスト)を務める。1996年、ウルス・ディートリヒ率いるブレーメン舞踊団のアシスタントおよびトレーナーを務める。1989年からはアーヘンとミュンスターの舞踊団のために、多くの振付作品を作る。1995年、自らのカンパニーを創設。1997年以降、オスナブリュック市立劇場舞踊団の専属振付家。
1996年にはハノーバー国際振付家コンクール受賞、2000年には「冬の旅」によって、バイエルン演劇賞受賞。2001年のハノーバー国際振付家コンクールの審査員。

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ヘルゲ・ムジアル(ダンサー、振付家)

第9回京都ダンスアカデミーin Summer(2005年)

モダン・ダンス、コンタクト・インプロビゼーション、クラシックバレエ、振付といったダンス教育をベルリン、アムステルダム、リガ、ニューヨークで受ける。ベルリン・エルンスト・ブッシュ演劇大学で振付の学位を取得。1983年から99年にかけて、ベルリンのタンツファブリークでダンサーとして参加し、振付家として8つの作品を制作した。1994年には国立オペラ劇場(ウンター・デン・リンデン)のために、『6つのダンス』を振付け、1996年と2002年にはスウェーデン・ノルドダンス・カンパニーのためにも振付けている。国際的なフェスティバルにおいても、彼の作品が上演されている。1995年以降、ベルリン芸術大学でダンス・テクニックを教えている。

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インゴ・ディール(ダンス教育者、トレーナー)

第7回京都ダンスアカデミーin Winterアシスタント(2004年)

1966年3月30日ブリュールに生まれる。
1984年から89年、ハノーバー音楽・演劇大学ダンス科で学び、ステージ・ダンサーの国家資格を取得。1988年には、アルヴィン・エイリー・スクールに留学し、ホートン、ダンハム、グラハム各テクニックを学ぶ。2001年から2003年、ケルン音楽大学ダンス科において、ダンス教育を学び、ダンス教育者の国家資格を取得。
オスナブリュック舞踊団を皮切りに、フィレンツェ・ダンスシアター、ケルン・タンツフォールム、ブレーメン舞踊団、アイスランド・バレエなどのソリストを務めた後、数多くの振付作品を発表。また、ケルン、ドレスデン、フィレンツェなどドイツ国内、国外の劇場やダンスカンパニーの振付、演出も担当。ルツェルン市立劇場(スイス)、アイスランド・バレエなどのトレーナーとしても活動。

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フィオナ・ゴードン(ダンサー、振付家)

第6回京都ダンスアカデミーin Summer(2002年)

1967年ピーターボローに生れる。ピーターボローの青少年ダンスカンパニーで踊った後、 1869年から90年にかけて、ラバン・センターにて、ダンスシアター、ハンフリー=リモン、カニンガム、グラハム、ニコライなどのテクニック、バレエ、振付、ラバン・ノーテーション、照明技術など幅広く習得。ラッセル・マリファントのコンタクト・インプロビゼーションも学ぶ。ダンサーとしてラバン・センターのツアー公演に参加した後、イギリス、フランス、スイスなどヨーロッパ各国での活動を始める。1995年以降、ヤン・プッシュとの共同作業を始め、ハンブルクに拠点を置いて数多くの作品に出演。1998年にはヤン・プッシュ振付によるソロ作品「プリーズ・ヘルプ・ユアセルフ」を初演し、翌年シュトゥットガルト・ソロダンス・フェスティバルで第1位。2002年、ドイツ・ダンスプラットフォームには、”Into the Blue”(振付ヤン・プッシュ)で出演。ラバン・センターをはじめ、ハンブルク・コンテンポラリーダンススクールなどでダンサーの育成にも携わる。

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アリソン・ブラウン(ダンサー、振付家)

第5回京都ダンスアカデミーin simmer, in Winter(2001〜2002年)

アメリカン・バレエ・スクールでマギー・ブラック、ノラ・コルプマン、フィニス・ジュン、デビッド・ホワード、サラ・ラドナーにダンスを学び、演技をカトリン・アダムス、ピーター・トンプソンに学ぶ。1986年から91年までニューヨーク・シティ・バレエ団に所属し、G.バランシーン、J.ロビンズ、P.マーティンス、E.フィールド、L.ルボヴィッチュの作品で踊る。94年までトワイラ・サープ・アンド・ダンサーズの主役ダンサーとして多くの作品に出演。サープとバシリニコフのアメリカ・ツアーにも主役として出演。94年には勅使河原三郎の「ノイジェクト」にも参加。94年から95年にかけて、アマンダ・ミラーの作品「Two Pears」の初演からヨーロッパ全土のツアーに出演した後、1996年からフランクフルト・バレエ団に所属し、現在にいたる。フォーサイスをはじめ、多くの振付家の作品に出演し、99年以降は自らも振付作品を発表している。

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パスカル・ジョルダーノ(ダンサー、振付家)

第4回京都ダンスアカデミー(2000年)アシスタント

パリに本拠を置くパル・フレナック・カンパニーのソリストとして活躍。現在、自分のカンパニーを結成し、パリにて活動。

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クリスティーネ・コウノ(ダンサー、振付家)

第4回京都ダンスアカデミー (2000年)

1946年、ポモナ(カリフォルニア)に生まれる。クラシック・ダンスのレッスンを始め、1959年には、奨学金を得てサンフランシスコ・バレエ団、アメリカン・バレエ・シアター、ジョフリー・バレエ団で学ぶ。1962年よりペンシルバニア・バレエ団専属となり、1964年以降同バレエ団のソリスト。1968年にはエリオット・フェルド・バレエ団のソリスト、振付アシスタント、バレエ教師として専属契約。1970年、奨学金を得てジュリアード音楽学院とマーサ・グラハムスクールで学ぶ。1972年、ケルン・タンツフォールムのソリスト、バレエ教師、振付アシスタント。1981年、フォルクヴァング大学で、ダンス教師の資格取得。ヴッパータール舞踊団、ヴァイマール舞踊団、バーゼル舞踊団のバレエ教師、トレーニング指導者を務め、1987年以降は、スザンネ・リンケの率いるブレーメン舞踊団をはじめ、タンツフォールム・ケルンなどの客員指導者として活躍。フランス、オランダ、ベルギー、ギリシャ、日本などでもワークショップを指導。

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ディミトリス・クラニオーティス(ダンサー、振付家)

第4回京都ダンスアカデミー(2000年)

1950年、アテネに生まれる。1967年から1972年までパリで哲学、数学、演劇を専攻。1974ー76年、ギリシャのアトス修道院に滞在し、哲学、神学、詩作の勉強を続ける。1980ー88年、パリでジェローム・アンドリュースのダンサーおよび振付アシスタントとして活動する傍ら、俳優として映画出演、アヴィニヨン演劇祭の委嘱を受けて振付などを行なう。1992ー94年、ヴッパータール舞踊団にてアシスタントおよび脚色担当。1994年以降、モダンダンス教育者としてクリスティーネ・コウノとともに世界各地でワークショップを指導。

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パル・フレナック(振付家)

ブダペスト生まれのハンガリー人で、1988年よりパリ在住。クラシックバレエを学び、ハンガリーの様々な国立バレエ団でソリストとして活躍した後、フランスに移り、他のジャンルの振付技術を身につける。1993年自作『Les Palets』で振付家としてデビュー、「身振りの力強さと、強烈な喚起力に驚かされる」(ドミニック・フレタール、ル・モンド紙)と評された。不可思議な世界と対立する形で、身体を語るという絶望的試みとしての身体表現には、言語として身振りが持つ力強さと内面性が刻印されている。両親ともに耳が不自由であるという家庭に育ったパル・フレナックにとって、身体表現は内的現実を表現する唯一の手段であり、リールの聾唖劇団との共同活動を行ったり、フランス外務省芸術活動協会の支援を得て企画される世界各地でのフランス文化センターのダンス公演ツアーも数多く行っている。

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リース・マーティン(振付家)

第1回京都ダンスアカデミー(1997年)
第2回京都ダンスアカデミー(1998年)

シドニー大学卒業後、西オーストラリア・バレエ・カンパニーのダンサーおよび舞台美術担当者を務め、シドニー・オペラハウスなどに出演。1981年イギリ
スのイースト・アングリアン・ダンスシアターのダンサーおよび振付家に就任。
同年、ロンドン振付賞受賞。さらにユネスコの第12回振付コンクール第1位。
ドイツに移り、ラインヒルト・ホフマン率いるブレーメン・ダンスシアターのメンバーとしてニューヨーク、東京、パリ、イスラエル、カナダ、アイルランドな
ど世界各国で公演。その後、ラインヒルト・ホフマンとともにボッフム劇場に移り、1989年まで同劇場に所属。ダンサーとしての活動に加え、振付家、演出
家として数多くの舞台作品に関わっている。1992年以降はベルリン芸術大学の講師として教鞭を取る傍ら、ドイツ国内はもとより、フランス、イギリス、チェコなどヨーロッパを中心に幅広く活動。現在、ベルリン芸術大学教授。

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メリッサ・セント・クレア

第1回京都ダンスアカデミー(1997年)
第2回京都ダンスアカデミー(1998年)

カリフォルニアで、ブロードウエイ・シアターの「カンパニー・ウィー・キープ」のメンバーの一人として参加。その後、フォード財団の奨学金により、「ノースウエスト・レパトリー・ダンスカンパニー」のゲスト・アーティストとして、アラスカ、カナダ、アメリカ国内で活躍。ジャコブス・ピロウ、アルヴィン・エイリー・スクール、ライアー・ウッドベリー、R.D.T.でトレーニング
を受ける。現在は、パフォーミング・アーツの専門高等学校であるジェファソン・ハイスクールの専任教授を務める傍ら、オレゴン・バレエシアターのゲスト・アーティストとして振付作品を発表している。

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ミシェル・ラフォレー(俳優、ボイストレーナー)

第1回京都ダンスアカデミー(1997年)
第2回京都ダンスアカデミー(1998年)
第3回京都ダンスアカデミー(1999年)
第5回京都ダンスアカデミーin Summer, in Winter(2001〜2002年)

1936年パリ生れ。パリ、マドリッド、カサブランカのアリアンス・フランセーズにてフランス語教師として派遣。1976年、ロイ・ハートシアターに出会い、声に関する研究を始める。モンペリエを本拠地とするこの国際的劇団に12年間在籍し、すべての活動に参加する。1989年より、俳優、演出家として独自の道を歩き始め、呼吸法、言語、セリフなどを通して、人間が声を発するということについての理解を深め、発声と身体の関りについての認識をワークショップやレッスンを通じて広めている。またフリーの舞台俳優として、舞台や映画にも出演している。1995年以降、京都で声のワークショップを始め、その独特の教授法で、参加者は「声」と「こころ」、「からだ」のつながりを意識させられている。

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マーシャ・ラヴェンソール

第1回京都ダンスアカデミー(1997年)
第2回京都ダンスアカデミー(1998年)
第3回京都ダンスアカデミー(1999年)
第4回京都ダンスアカデミー(2000年)
第5回京都ダンスアカデミーin Summer(2001年)
第6回京都ダンスアカデミーin Summer(2002年)
第7回京都ダンスアカデミーin Summer(2003年)

ニューヨーク大学大学院ダンス療法研究科設立者、科長を16年間勤めた後、退官してプリンストン・ダンス療法インスティテュートを設立。現在、年間の半分は、オーストラリア、イギリス、ギリシャなどでダンス療法士の指導、育成を行なっている。AJDT(アメリカ・ダンス療法研究誌)の編集主幹の一人として、長く アメリカでのダンス療法の普及とレベルアップに取り組んできた。ボディ・セラピー・テクニック、ゲシュタルト、分析、Psychosynthesis等のバックグランドを持つ。臨床心理学博士、CMA(動作分析家資格保持者)、ATDR(ダンス療法士教育資格保持者)。著書多数。

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サシャ・ヴァルツ(振付家)

1999年ワークショップ講師 /テーマ:コンタクト・インプロビゼーション

1963年カールスルーエに生まれる。最初のダンスのレッスンを、ドイツ表現主義舞踊のメリー・ヴィグマンの生徒だったヴァルトラウト・コルンハースから受ける。83年から86年アムステルダムのスクール・フォー・ニュー・ダンス・デヴェロップメントで学び、87年から89年、ニューヨークに渡り、プーケイ、ヨシコ・チュウマ&スクール・オブ・ハード・ノックス、リサ・クラウス&ダンサーズと創作活動を行う。88年、ヨーロッパに戻り、アーティスト、ミュージシャンとの創作活動、多くの振付作品を発表。93年にはベルリンの「ベターニエン芸術家の家」のアーティスト・イン・レジデンスの奨学金を得て、自らのカンパニー「サシャ・ヴァルツ&ゲスツ」を設立。93年から95年にかけて「トラヴェローグ三部作」(”Twenty to Eight”, “Tears Break Fast”,“All Ways Six Steps”)を発表し、ヨーロッパ、アメリカへのツアーを行う。”Twenty to Eight”は94年、グローニンゲンの国際振付コンクールで賞を、またベルリン新聞の批評家賞を受賞。2001年からはベルリンのシャウビューネ劇場を率い、「ケルパー」、「no Body」、「インサイド・アウト」など、次々に話題作を発表している。

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アマンダ・ミラー(振付家)

1997年 ワークショップ講師/テーマ:ラバン・ノーテーション

1962年6月15日、ノースカロライナ州チャペル・ヒルに生まれる。2歳でクラシックとイサドラ・ダンカン・テクニックのレッスンを受ける。1974年から77年までノースカロライナ・アート・スクールで学んだ後、ニューヨークのメリッサ・ハイドン・スクールで学び、シカゴ・リリカル・オペラ・バレエに所属。1980年から82年までベルリン・ドイツ・オペラ・バレエ団員。
1984年にウィリアム・フォーサイス率いるフランクフルト・バレエ団に入り、1986年からは同バレエ団の振付家となる。1992年フランクフルト・バレエ団を退団し、自らのカンパニー「プリティ・アグリー・ダンスカンパニー」を設立。1994年にはバニョレ国際振付賞プロフェッショナル振付家グランプリ受賞。「プリティ・アグリー・ダンスカンパニー」は1997年以降、フライブルク市立劇場のバレエ専属カンパニーとなっているが、2004年で契約が切れ、今後の新しい活躍が期待されている。

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ワークショップ概要

 

第1回からの講師陣

ドミニク・メルシー
フアン・クルース・ディアス・デ・ガライオ・エスナオラ
秋谷悦子
松平ますみ
ヤン・プッシュ
ヘンリエッタ・ホルン
ハイデ・テゲダー
フェリックス・ルッカート
ロドルフォ・レオーニ
グレゴア・ツェーリッヒ
ヘルゲ・ムジアル
インゴ・ディール
フィオナ・ゴードン
アリソン・ブラウン
パスカル・ジョルダーノ
クリスティーネ・コウノ
ディミトリス・クラニオーティス
パル・フレナック
リース・マーティン
メリッサ・セント・クレア
ミシェル・ラフォレー
マーシャ・ラヴェンソール
サシャ・ヴァルツ
アマンダ・ミラー
高安マリ子
阪本麻郁

 

ドイツのダンス
阪本麻郁のケルン便り
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